20240121 引き込まれる本
来週の輪読会EXPOの資料が一通りできた!もうちょいブラッシュアップしていきたいが。
そして自分の部屋をある程度片付けた。いつもこれくらい綺麗にしておきたいが、気づくとグチャっとしてしまうのよね…
〜 〜 〜
「ら」と「たち」の使い分けについて。
これは好みな話題。なんでだろう?
(略)
「学生たちが…」「学生らが…」「学生などが…」と聞くと、それぞれにどんな印象を持つでしょうか。
微妙に違うものがありますね。まず「学生ら」「学生など」というと、学生以外の人も含んでいそうな気がします。このふたつも、「ら」と「など」では、「など」のほうが範囲が広く曖昧な感じもします。
さらに「ら」にはもうひとつ、相手を見下げるような雰囲気があることを見逃すわけにはいきません。「奴ら」「お前ら」がその典型でしょう。その点、「たち」は単なる複数を表す語とされています。
そんなわけで、放送で複数の人を表現する時には、「ら」の使用は避け、「たち」か「など」を使おうという考えかたが主流になってきました。東海テレビなどのフジテレビ系列放送用語も、そのように取り決めています。
ところが、この問題はそう簡単ではありません。「ら」のほうが違和感がない場合もあるのです。
「○○大臣らの視察団が」「○○大臣などの視察団が」、あるいは「薬害被害者らが」「薬害被害者たちが」の印象を比較すると、この二例では、むしろ「ら」が適切という気がしてきます。皆さん、どうでしょうか。
(略)
こういう日本語の曖昧さは、永遠に解決しそうにありません。しかし、そんな不可解さがあるからこそ私にとって最適表現探しは面白いのです。
〜 〜 〜
本心を少し読み進めた。これは引き込まれる。昨日も同じこと書いてた笑。 遠く無い未来に自分にも起こるのでは無いかというリアリティを感じる。
読書といえば、昨年遅まきながら三体を読もうとして冒頭10数ページ程度で挫折したことを思い出した。 三体は全然先に読み進められなかったんだけど、なんで本心は読めるんだろう? 去年読んだ数少ない小説の残像に口紅をも、かなりスルスル読めた。 全然違うジャンルだからといえばそれまでだけど、自分にとって読み進められる本とそうでない本を把握しておくことは重要だと思われる。
まず、登場人物が多すぎると誰がどれだかわかんなくなってしまう、というのはあるな…。まぁそれは誰でもある程度ありそう。
あとは自分にとって馴染みのある世界観・ジャンルかというのも大きそう。三体は自分にとって離れた世界すぎて、単語ひとつずつを認識・理解することができずにフワフワした感じだった。あっという間に挫折したけど、冒頭どんなことが書いてあったのかももうほとんど覚えていない。
本心なんかは、自分が興味のある分野のことでもあるし、登場人物も多くないので、精度はさておきストーリーを自分の言葉で話すことができそう。 どんな本だとスルッと読めそうか、ということを意識しておくことは、本をたくさん読んでいくぞとなった時に結構役に立ちそう。
(一方、「全然スムーズに進まないけど頑張って読む」という体験もそれはそれで必要な気もする)
〜 〜 〜
午後、娘がおやつを作ってくれた!
学童にあった「やせるおやつ」という本の中にあったレシピを手書きで写してきてくれた。
なんて嬉しいことをしてくれるんだ…「やせるおやつ」からチョイスしたというところにプレッシャーを感じるが😂
https://scrapbox.io/files/65af0b5eeb213f0025735749.jpeg
同量のココナッツオイル・きなこ・メープルシロップを泡立て器でトロトロになるまで混ぜて、トレイに広げて炒り大豆を乗せて冷凍庫で冷やせば出来上がり。超おいしかった☺️
〜 〜 〜
夜は映画ハリーポッターとアズカバンの囚人を観た。土日1本ずつ観た、いいペース! 前に見たのをほとんど忘れているので新鮮な気持ちで見られる😇
アズカバンこれだったかーと途中で色々思い出した。アズカバンかなり好きかも。
娘も通して見てくれた!ハリーポッター結構好きになったみたい。
〜 〜 〜
早朝輪読会始めた当初はRailsナニモワカランだったな〜。今もまぁ似たようなもんだけど、ようやくほんの少しわかるような気がしてきた。